斜め上から目線

アウトプットが大切なんですって奥さん

金継ぎ

99のものがあると、100にしたくはないだろうか。

100が完璧な数値というわけではない。

今テキトーに、キリのいい数を出しただけだ。

しかしキリのいいものというのはなんとなく綺麗に見える。

私は綺麗なものが好きなので、できるならば、0か100でありたいのだ。

 

しかし!

しか~~~~し!

 

それはいかんのである...

100まで頑張ってはいかんというわけではない。

完璧主義の人はマジに頑張って100までやるだろうし、努力や才能やら何らかの理由で73.33333333...とかの気持ち悪い数値になってもよいのだ。

そう思っていないと、ゴールだけが賞品になってしまう......というのが私の持論であった。

 

私は無駄にプライドが高く、自己愛やら自尊心がエベレストである。

色んな人に「へかはナルシストだよね」「ダメな自分とか言ってるけど許してるんでしょ?結局甘えじゃないか」「人をいつも見下している」と言われた。

えっ...書いてて思ったけどまあまあここまで言われるの私何したんだっけ...

実際半分くらいはその通りだとホントに思っていて、完全に開き直ってしまっている。

ダメな自分を許しているくだりなんかもうその通りである。

他の誰にも許してもらえないほどダメならば、まあせめて自分くらいは許してやろうという気にならないか?

というかそこまで自罰的に生きたとして、行き着く先は袋小路の上に酸素なくしてバタンキューがいいところだ。

バタンキューしておけと要するに言いたいのである、私が嫌いな人は。(そらそうだ)

ナルシストもまあわからんことはないが、人を見下しているは本当にわからない。

多分そう言った人は私のTwitterやらブログやらトークやら見てもなんでもかんでもまたこいつ上から目線だよ!いい加減自分の立場弁えろよ!と思っているであろう。

実をいうと、ブログタイトル『斜め上から目線』はそこから取ったものである。

上から目線なら、それなりに、斜め上にふんぞりかえっといてやろうと思ったのだ。

そうそう、へかという名前も女王陛下が元ネタだ。というかハンネを女王陛下にしていた時期があったのが、長いのでへかになっているだけである。者共大義であーる。

というかその下から目線も大概腹が立たないか?私はちらりとこちらを見やり金銭よりも価値のある何かを乞うてくる目が、どうしようもなく自分に似ていて大嫌いなのである。

瞳は心をうつす鏡だと思っているから、余計にそう思う。

私は自分の嫌いを言うことが最近無くなってきた。SNSだとなになにを嫌いだなんて言わないでください!好きな人もいるんですよ!なんてミュートやらブロックやらを知らない奴もいるが、別にそいつらに配慮している訳ではない。

単純に、嫌なことを思い出すのが嫌なのだ。

なのになんでこんなしちめんどくせえ話をしているかというと、荒んだ心の整理は過去の自傷に気づくことと同義であると思っているからである。

重い荷物を柔らかな地面からもちあげたことはあるだろうか?

カーペットやフローリングなどは柔らかいなあ。

高校生のとき、失恋話を友達にぽそぽそとSkypeで話していたことがある。

その時に自身が用いた例えがこれだ。

ああこんなことがあったなあと自覚して、それを整理しようと持ち上げたとき、私のフローリングにはその荷物の跡がついてしまっていたのだ。下敷きも無しにでんと置いてしまったから、凹みができてしまって、その形の輪郭が残っている。

よく心の傷は癒えないと言われているが、私の思う傷の形はそういうものだった。

傷といわれると手を切ったり足を擦ったりしたときのイメージが湧いてしまって、うーんそのようなものだろうかと常々思っていた。

ぽそぽそSkypeしながら思いついたその例えは自分のなかではすごくしっくり来ていて、何か思い出してしまうときは「どっかり座って手をついたら丁度その輪郭に触れていた」と思うようにしている。

もちろん隠す手だてはあるだろう。最近はなんかフローリングの傷を隠すクレヨンとかが売っている。この前母が買ってた。

けれども凹みがあったという事実は塗り込めることで浮き彫りになる。

それに、そもそも荷物をどっかり置かなかったらいい話なのだ。

けれども情動を警戒して浮き沈みなく生きることは、とても難しくまたドラマチックではないだろう。

私は鏡のような水溜まりより、雨が降ってしっちゃかめっちゃかになっている池を見てる方が好きなのだ。静かに暮らしたい吉良的ヒューマンはそうしたらいいんじゃないのかな...(適当)。

 

久しぶりに文章を考えて、少しすっとした。

何が言いたいかというと、なんということもない。

凹みはそこにあるが、その輪郭だけが場所ではないのだ。布団の上に横向きに転がってころころしてみたら、もう座標は違う数値を示している。

それに、こんな激ウマ例え()を言えるのにも関わらず残念な人間性で不興を買っているような奴もああ楽しく生きたぁいつって楽しみたそうにしている。

 

つまり......楽しんだもの勝ちだ!!

金継ぎしたお茶碗ってカワイーし!!!!!

I  WIN!いぇ~~~~