文章
私の文が面白いと言ってくれる人が周囲に数人いる。
素晴らしいことである。
だけども個人的には「なんだこの読みにくい文章!?」と思いながらも直す箇所がよくわからず投稿しているものばかりなので、微妙な気持ちがぬぐえない。
このブログを読んでいる人は大体がTwitterから来たと思われるのでわかるだろうが、私は140字という制限を与えられても胡乱な感じの文しか書けない。かなしい
元々このブログはアウトプットやら文章能力向上のため始められた。しかしながら三日坊主が祟って今じゃこの有り様である。地獄をみるコース。
でもでも褒められて戸惑ったものの悪い気はしていないへーかちゃん(褒められるか見捨てられるかして伸びるタイプ)は「文芸関係の職に就いたら?」「なんか知らんがわかりやすい!」というあからさまな世辞にものってしまうのであった。
今後も更新がんばろう。
いつかAmazonの欲しいものリストを更新するだけで家に届くような......
そんな奴に......なりてえもんだ......
学校へ行こう
君は積極的に学校へ行こうと思ったことはあるだろうか。私はない。
友人と話すためだけにしぶしぶ登校していた。
学ぶ意欲がどうのと言われても、一日につきよくわからんものを興味を惹かれないまま抑揚なく説明される一時間(大学ではもっと長くなった)が6回くらい入るのだ。
行きたくないのは当たり前である。
しかし、今回の話はそんなかったるいことが中心ではないので愚痴はここまで。
一時間も人は集中していられないとか一方的な投げ掛けでは頭に残らんとか、そういうのは既に偉い人が論文に書いているんだ。
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.tinyco.potter
そういう話をしにきたんだ。
君はハリー・ポッターシリーズを知っているだろうか。
ハリー・ポッターと賢者の石から始まる長編シリーズはそりゃもうハチャメチャに売れている大人気作品である。
私は小学校時代の大半をハリー・ポッターを読んで過ごしていたため「小5になればホグワーツ魔法魔術学校から手紙がくるのでは」などと半分本気で考えていた時期もあった。
小5になった頃にはフィクションとノンフィクションの違いに気付いていたものの「私に魔法の才能がなかったから手紙も来なかったのだ」と思うようになっていた。
ハリー・ポッターシリーズは間違いなくおとぎ話であるが、長らく夢見ていた私にとってはもうひとつの真実に姿を変えていたのだ。
これはハリポタ世界の『マグル界(魔法の使えない人間が住む世界)と魔法界(物語の舞台、魔法が当たり前にある世界)はひとつの場所に同時に存在しているが分かたれており、基本的に互いの領域を(主に魔法界が)侵さないようになっている』という設定に影響された考え方である。私は弾かれたのだ。
ファンブックについてきた入学の手紙にも素直に喜べなかった。本物は蝋で封をされているし、羊皮紙にインクで書かれたものがふくろう便でやってくるからだ。
USJにあるハリポタエリアにはまだ行けていない。時間や金銭の問題より、心持ちの問題だった。マグルがホグワーツのパチモンを建てて喜んでいるなんて、本物のホグワーツ生が知ったら何て思うのだろう?
相当拗らせたまま成長している。
そうやってハリポタ世界への憧れだけがずっと残っていた矢先のアプリリリースである。
リリースされたときから存在は知っていたが、入れる勇気がなかった。
ホグワーツ生になることは長年の夢だったが、ボタンを押せば入れるほどの簡単さで渡されると動揺してしまう。
気にしながらもいれずにもやもやしていたが、大学の知り合いに薦められたのをきっかけにインストール。
へーかのなけなしの勇気、見てみる?といった具合である。
今私はへーか本人ではなく、何となく気質を似せたキャラで話を進めている。
ホグワーツから退学させられた後行方不明になった兄の痕跡を辿るべく、主人公はホグワーツの謎に手をかける。
暗示のような夢、兄の失踪の謎、ホグワーツに潜む何か──以下略──みたいなのが粗筋。
授業に参加しながら技術を磨き、校則を破り、マルフォイポジの女を煽るゲームだ。
始めたばかりなので面白いかはまだわからないが、ともかく『本当にホグワーツへいける』と思っていたあの頃を思い出すことができる。
皆は学校へ行こうと思ったことあるか?
私はない。
行きたい学校から入学届けが来なかったから。
でも今は、今だけは、このよくわからんアプリで行った気になろう。
ハリポタにそこまで熱心ではない人向けの宣伝
主人公がやたら口が悪いので面白いぞ やろ
たのしみ
楽しいことだけを考えて生きてきた。
楽しいこと、面白いこと、幸せなこと。
好きというだけでなんでもできるような気にさせられてしまうし、嫌いなものには一ミリも動かされたくない。
今までの瞬きほどの人生、楽しいことを常に側へ置き安心しながら暮らしていた。
私は人様が同情ほろりするようなエピソードを持ち合わせていないが、それでも苦しかったことや辛かったことくらいはある。
しかしそんなときでも私はインターネットやら声劇やらの楽しいことを見つけ、逃避し、目を瞑ることができていた。
今。今辛いことがなにもない。
薬は効いていて、家族やバイト先での人間関係もその場で悩む程度、学校の課題ってのはそういう辛さではなく、突然失恋したみたいなハプニングも起こっていない。
ものすごく不安である。
私の場合、順調であると思えば思うほどなにかしら重大な事柄を忘れているのだ。いつもそうなのだから今回もそんな気がする。
今、苦しいことがなくて、楽しいことばかりだ。
不安になる。
楽しいことばかりだから、逆に安心できなくなっている。
後々痛いことが起こりそうな予感がする。
当たらないでいてくれたらそれでいいし、当たったら当たったでああやはりとしか思えない。
うーーーん
なんか不安。
負けず嫌い
久しぶり。
突然だけど見てほしい。
1000位入った。
前回の記事( http://muchinochi.hateblo.jp/entry/2018/05/25/033222 )
であれほど弱音を吐いていたというのにこのざまである。
最終的に15000円使った。
やってるうちに段々負けず嫌いが発動してしまって、ここまでやったのに負けるなんて許せない...と張り切った。
完全に公式の思惑通りである。
扱いやすいオタク へーか
初めて99日め、初の上位SRである。
と思ってたら次のイベントで担当がガシャRだった。ひっくり返った。(余ったコインで1枚引けたのでもう満足している)
嬉しい~~~~
けど思ったより楽しくはなかった
1000位入れるか入れないかまでのときはメチャクチャ祈ってたくせによく言うよ
一応賭けには勝ったわけだけどあんなスリルはゴメンですね
1000位
初めて約3ヶ月
街角スカウトで来た信玄さんSR+とてんてるSRだけが私のSR
街角スカウトで来たと言ったら驚かれたが来た そんな来ないのかよ
推しが上位のイベントが始まった。
担当ではなく推しである。だからといってどうというわけでもない。
1000位以内で確定一枚。
持っているPエンは七枚で、全部パーチケに変えた。ダメだった。恒常Rの姿で来た推しを見て、この人お茶目だなと思った。
1000位以内に入るには、について書かれたブログやツイートを少し調べた。
親切な人が沢山沢山書いていて、読めば読むほど自分の力不足に気付かされた。
私が持っているアイテムとデッキではとてもとても毎日ウン千ポイントなんぞ雲の彼方だ。
私は今までソシャゲに課金したことがない。
でもこのゲームは課金前提に作られている。
CDやDVDは惜しみ無く買える。
等価交換だからだ。
どんなに高かろうが、安かろうが、その金額分のものが必ず手に入る。
何度も見るから実質ゼロ円、というのは最近のジャンル布教においての常套句だ。
しかし実際のところは勿論財布から金が減っている。金を払う抵抗感がゼロなだけなのだ。
私は映画館で同じ映画を何度も観るタイプだが、その映画がDVD化されたとき買うことはすくない。家に映画館がないからだ。
見えないものほど価値が高い。
もう一度体験できるかわからなくて、希少だからだ。
ギャンブルはそういった興奮をもう一度体験することができる。99の運と、1の大金さえあれば。
私は臆病なのでギャンブルはしたくない。
モノクロの盤や回る数字はよいモチーフだと思うけれど、自分がそうなりたいとは思わない。
推しのことは大好きだけれど、私は私のことも大好きなのだ。見返りがほしい。
CDを買えば彼が歌っている曲が必ず聴ける。
だから買った。
眠たいので何を書きたかったかちょっと思い出せない。
はやくも推しを諦めたというだけのはなしだった。
ザクロチョコ
これ美味しい
他にもイチゴとか出てるっぽいから試そう
うまいな~~~~
うまい